東京競馬場(東京都)
1933年(昭和8)〜

東京競馬倶楽部主催にて、かつては目黒(東京府荏原郡下目黒村)の地で行われていたが
競馬は益々盛んになり、敷地が六万余坪しかない目黒競馬場は
拡張の余地がなく
その上、敷地の大部分が
借地であり、地主からは地代の値上げを要求され
一部町会議員からは町の発展を妨げるとして
移転論まで出てきた


東京競馬場倶楽部側としては、将来大競馬場として理想的に計画改築するには
他の土地に移転するしかないという結論をだす


1933年(昭和8)年11月:春季開催を最後に府中に新設された
東京競馬場にその役目を譲った


因みに、
目黒競馬場からの移転に当たっては100を超える候補地があげられたが
土地の広さ、交通や物流の便、水の恵みと共に水はけの良さ等の条件を満たした
府中が最適地として選ばれた


武蔵国の国府である府中は、古くより
大国魂神社において古式競馬が催され
後には
甲州街道の宿場町として馬市も開かれるなど栄えた町だけに、幾つもの史跡がある
東京競馬場の中にも縄文時代中頃の遺跡があり、縄文土器が発見されている
また、中世の土器や平安時代末の経筒(きょうづつ)も見つかっている

第3コーナーから第4コーナーにかけての大ケヤキの脇には
戦国時代末から江戸時代初めに生きた井田摂津守是政の墓所がある
源平合戦で名高い武将の畠山重忠を先祖に持つ井田摂津守是政は八王子城が陥落し主君の小田原北條氏が滅亡したため
この地に土着し開拓に励んで村の基礎を築いた

そんな
東京府下北多摩郡府中町に、東洋一の規模を誇る
東京競馬場が完成する

1933年(昭和8)年11月8日:
東京競馬場(府中)にて竣工式が施行され、同月18日に第1回の秋季競馬が開催された



<昭和10年春季・東京競馬倶楽部主催・単勝式勝馬投票券>


1936(昭11)年:
競馬法一部改正に伴い、全国11の公認競馬団体である競馬倶楽部日本競馬会に統一される


1948(昭23)年:
新競馬法が公布され日本競馬会は解散、国営競馬と地方競馬からなる制度が導入され


1954(昭29)年:
日本競馬会日本中央競馬会となり、競馬運営のシステムは現在に近い形となった

特殊法人
日本中央競馬会とは
中央競馬を主催・施行すると共に
中央競馬を開催する競馬場や美浦・栗東のトレーニングセンター、競走馬の育成所などの施設を保有する
農林水産大臣の監督下(監督部局は農林水産省生産局畜産部競馬監督課)にある全額国出資の特殊法人


1987(昭62)年:それまで
NCK(Nippon Cyuo Keiba-Kai)と呼ばれていた略称が
JRA(Japan Racing Association)へと変更された



東京都府中市日吉町